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イェレミアス2世 (コンスタンディヌーポリ総主教) : ミニ英和和英辞書
イェレミアス2世 (コンスタンディヌーポリ総主教)[いぇれみあす2せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [そう]
  1. (n,pref) whole 2. all 3. general 4. gross 
: [ぬし, おも]
 【名詞】 1. owner 2. master 3. lover 4. god 
主教 : [しゅきょう]
 【名詞】 1. bishop 2. prelate 3. primate

イェレミアス2世 (コンスタンディヌーポリ総主教) : ウィキペディア日本語版
イェレミアス2世 (コンスタンディヌーポリ総主教)[いぇれみあす2せい]

イェレミアス2世トラノス, Jeremias II Tranos、1530年 - 1595年)は数次にわたって1572年から1595年までの間にコンスタンディヌーポリ総主教を務めた。エレミアス2世とも。ルター派との往復書簡、およびモスクワ総主教庁の設立などで知られる。
有力者であるトラノス家()のギリシャ人であるイェレミアスは、アンヒアロス(ギリシャ語名。ブルガリア語ではポモリエ)に生まれた。1572年総主教に選立されたが1579年に罷免される。これはオスマン帝国の支配者が総主教在位年数に制限を設けたためであった。しかしイェレミアスは翌年に再び総主教に選立され、1587年にも同様に再び選立された。1595年コンスタンディヌーポリで死去した。'', Jeremias II Tranos、1530年 - 1595年)は数次にわたって1572年から1595年までの間にコンスタンディヌーポリ総主教を務めた。エレミアス2世とも。ルター派との往復書簡、およびモスクワ総主教庁の設立などで知られる。
有力者であるトラノス家()のギリシャ人であるイェレミアスは、アンヒアロス(ギリシャ語名。ブルガリア語ではポモリエ)に生まれた。1572年総主教に選立されたが1579年に罷免される。これはオスマン帝国の支配者が総主教在位年数に制限を設けたためであった。しかしイェレミアスは翌年に再び総主教に選立され、1587年にも同様に再び選立された。1595年コンスタンディヌーポリで死去した。
==他教派との関係==
イェレミアス2世の在位年間は西方教会において宗教改革対抗宗教改革が起こっていた時期と重なっており、特にルーテル教会と正教会の関係や、ウクライナにおける教会組織への裁定、モスクワ総主教庁の設立におけるロシア正教会への裁定など、多くの重要な局面にイェレミアス2世は関った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イェレミアス2世 (コンスタンディヌーポリ総主教)」の詳細全文を読む




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